2010年8月8日日曜日

議論のファシリテーションについて

先日とある、議論に参加しました。一部の人は知り合いだったようですが
ほとんどの人がその時が初見、ただ集まった目的や背景は理解しているがそこに
いる人がどんな人かは全くわからない、という状態

当然テーマが主催者から与えられ、とっかかりもあったのにもかかわらず
なんとなく、議論が発散した印象をもった。
(自分がかきまわしたのだが…)
ではなぜそうなったのか?

全員が平等であれば、議論をリードするのは声の大きい人で空気読まない人
かなと思っててそれは当たっている気がした。
それは参加者の属性がわからないからなのだ。
その人のもってるバックグラウンドや専門性がわかれば、大体どの立場で
話をするのか、という暗黙の合意形成がなされるがそれがないとどうもならない。
ただ、それは必ずしも悪いことじゃなくて、そういう前提を置かないがゆえに
あまり気にせず発言できるというメリットもある。もしかしたらその人が専門
だと思っているものより、それ以外の人が専門と思っていないところの
思想や意見の方が、より重要な場合もあるわけで。
どちらが正しいか、より建設的な議論になるかは状況次第なのかな。
なんとなく、ケースバイケースでありながらも今回のようなケースに適用できる
形はあるかと思うのですが・・・

これといった結論はないけど、メモ

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